【2024年2月勉強会報告】『「いき」の構造 』九鬼周遊(著)大川裕弘(写真)谷村鯛夢(編)

こんにちは。

創伝塾運営事務局の木村です。

先日2月の勉強会が開催されました。

2月のテーマは、九鬼周遊著『「いき」の構造 』です。

今回は、株式会社パイプライン代表取締役のTigerこと松本社長にファシリテーターを務めて頂き、塾生同士のディスカッションや意見交換が行われました。

以下、Tiger氏より頂いた勉強会報告レポートを掲載致します。

書の概要

あの名著の、「いき」の美学が理解できる。…とサブタイトルが掲げられた本書。では、「あの名著」 とは、どんな書だったのか!?

昭和初期の「高等遊民」という立場で、西洋の教養と遊びの精神及び江戸と上方(※かみがた:大阪や京都の町人文学)両文化に精通する”粋人”が語る哲学書。

昭和初期という時代背景的にも、欧米文化を採り入れつつ、精神としては欧米に”諂う”ではなく、「日本人が、この時代にあって、どう日本人として在るべきか!?」という”理想の生き方”が描かれた書と言えるかもしれない。

「いき」=「粋」とは

自分が手掛けていることや、眼の前に起こっていることを「粋であるかどうか?」というジャッジをすることは、従来あまり意識したことがなかったが、「粋なはからい」などでも使われるこの「粋」とは、そもそも何なのか?

 

辞書で調べると、「さっぱりした気立てで、あかぬけがし、色気もただようこと。そういう感じのする身のこなし・様子。人情の機微に通じ、さばけているさま。」とある。

また「最新技術の粋を集める(※この場合は「すい」と読む)」という様な表現シーンでも用いられるが、これも辞書的には「複数あるものから、特に極めて優れたものを選抜していることを意味する表現」とある。

 

つまり、カタチこそ持たないものの、我々の日常やビジネス・経済にまで、至る所・シーンに存在する「優れている…最高峰であるかの判断指標」と定義づけることが出来るのではないだろうか?

 

あくまでも定量化出来るものではなく、定性というか、文字通り”無形”の感覚的な判断指標。現代的なカジュアル表現で言えば「イケてるかどうか!?」と置き換えることができるだろう。

 

この「イケてる」という表現も、定量化・数値化できない曖昧な感覚指標言語であり、

センスがある

・洒落ている

・クールである

その総称として「カッコいい」。今や死語的になってしまった「イカしている」「イカス」に置き換わり、「イケてる」と略された俗語であると考える。

これは、古くから我々日本人の中に根付く「いき」すなわち「粋」に通ずる感覚・心であり、やや強引ではあるが、「イキである」→「イカす」→「イケてる」という変遷は、国語の「活用形」的な言語表現進化ともいえるのではないだろうか?

そして、「粋」とは、日本人だからこそわかる、心の中の機微に密接にかかわるもの、と私は捉えている。「侘び寂(わびさび)」という感覚は、我々が日本人だからこそ感覚的に捉えることができ、なおかつ「それを”佳し”」と評価できるもの。この「佳」という漢字に込められている語源も、

・姿形が整って美しい

・すぐれている。りっぱな

・時機がちょうどよい。めでたい

という意味がある。我々日本人には、そういった評価の指標を、総評言語に落とし込む感覚に長けている国民性、と言えるのではないか?

また、言語は国で異なるので、それぞれの国の、それぞれの国民性や価値観…そして感覚でもつ、それぞれの感覚指標があると思う。

本書にも例えとして掲載されるが「ウィット」「エレガント」「シック」など…これらは辞書的な意味合いはわかっても、その感覚や定義を本質的レベルで理解できるか?…感じ取ることが出来るか?と言われると、「YesかNo、二択しかないならNo」と言わざるを得ないと考える。

我々日本人は、先人たちから生まれ持って伝わるDNAレベルで「いき」を感じられる、もっといえば「感じるべき」国民なのだから、つまり「粋であること」を大切にすべきなのかと、捉えることが出来た。

粋な生き様を目指す

こうして改めて考えると、「粋であるかどうか?」は、ファッションや立ち振る舞いだけでなく「生き様として、そのレベルたるや如何様であるか?」という判断指標として通用するものであると捉えられる。

個人的な主観とはなってしまうが、「粋な生き様」を歴史上の英傑で言えば、薩長同盟を実現させることに人生を捧げ、明治維新の礎を創った坂本龍馬氏。当時戦局が旧幕府軍に傾いた際に、兵法を重んじることを由来とした「奇兵隊」を率い、まさに兵法で戦局を勝ち取った高杉晋作氏。明治維新後にリストラ化された旧幕臣の転用に私財を投じ、土地の開墾から日本文化の一端を創り上げた勝海舟氏。戦後GHQの支配下にありながらも、日本で初めてデニムを穿きこなし、敗戦国でありながら自国の主導で新たな日本国憲法制定を交渉で勝ち取った白洲次郎氏…など、枚挙にいとまがないが、現代に生きる我々も、その生き様…すなわち「在り方」に「粋であること」を意識していくべきかと考える。

まとめ

「創伝塾」で学ぶ我々には、独自の挨拶言語で「イキイキさま」というものがある。

これは、「創伝塾」の前身である「イキビジ大学」…「イキイキと生きられるビジネスを創るビジネススクール」から、主宰の作野塾長が生み出した造語であるが、今回の学びから「イキイキさま」とは「粋 生き様」と置き換えることができるな、と考えた。

つまり、挨拶するたびに「今日の自分、いまの自分は粋であるか?」と振り返ることができる…「イキイキさま」とは、素晴らしいメッセージであり指針だな、と感じることが出来た。

「いきの構造」に触れることで、「粋とは果たして何か?」を学ぶだけでなく、「その選択、言動や立ち振る舞いは粋であるか?」と、日々の生活や活動で、一歩踏みとどまって思考する習慣が身についた。デキているか、デキていないか?他人の評価軸ではともかく、自分自身の評価軸で「粋な生き様」を目指してイキたい。

Tiger(松本大河 株式会社パイプライン代表取締役 世界観プロデューサー)

執筆者

株式会社プロモーションウェッジ代表。作野塾長が創伝塾の前身として運営していたイキビジ大学の入学をきっかけに起業。現在はweb・マーケティング事業を営みながら創伝塾の運営に携わる。

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