こんにちは。
創伝塾運営の木村です。
先日、創伝塾3月の勉強会が開催されました。
今月は2月も課題図書になった『バカボンのパパと読む「老子」』(角川新書、ドリアン助川/著)の後半部分(下巻)がテーマです。
下巻も上巻に引き続き、抽象度が高く、とても思考させられる内容です。
今回も「老子」で何度も登場する、「道(タオ)」という概念について、塾生同士でディスカッションをしながら考えを深めていきました。
例えば、今回は参加者からの投げかけもあり、
「勉強なんかすると、どんどん勉強しないといけないことが増えるのだ」(P124より引用)
ということについてディスカッションする場面がありました。
我々は当然のように勉強すべき!ということを小さい頃から教えこまれていますが、なぜ老子は勉強がしないほうが良いとも解釈できるようなことを記したのでしょうか。
これに対して、他の参加者から、
勉強というのは向上心という「欲」を表していてそれが高まりすぎるのがマズいのではないか?
という意見があがりました。
たしかに、時代背景を考えても、この時代、出世や戦争で勝ち抜くために、強い欲をもって勉強している人が多かった可能性があります。
そのような人々を諌める意味で、勉強して知識をただ増やすことではなく、「道」についての理解を深め、減らすことを推奨したのではないでしょうか。
これも、まさに創伝塾で普段から大切にされている「中庸」の精神です。
もともと、向上心が無く全く勉強しない人が、さらにしなくなるのは当然マズいですが、勉強のしすぎも驕りや軋轢を生むことにつながることがあります。
このように「老子」には現代の常識と、一見逆行するような考え方も多く登場しますが、その度に「なぜ老子はこのように書いたのだろう」と立ち止まることで、毎回新しい気付きが得られます。
私自身も1月から3ヶ月続けて「老子」について学んだことで、「中庸」でいることの重要性についてより理解が深まりました。
以下は参加者の方々の感想です。
来月は、老子から派生して、「老荘思想」について学んでいきます。
4月もよろしくお願いします。