「実言は、すうじょうのろうといえども、以て物を動かすに足る。
虚言は、能弁の士といえども、人を感ずるに足らず。」
これは佐藤一斎『言志四録』の言志後録第一七七に書かれた言葉である。
意訳すると、真実の言葉は木こりなどの身分の低い言葉であっても、人の心を動かすことがある。
しかし、偽物の言葉は、弁のたつ人が上手に話しても人を感動させることはないということ。
これは私たちが経営や投資活動をする上で十分に気をつけねばならない。
例えば、偉い人、すごい人、実績がある人、有名な人などが放った言葉だからといって、必ずしも信じてはいけないし、逆に、身分が低い人、まだ実績がない人、無名な人が放った言葉だからといって頭ごなしに拒絶してもいけないということ。
大切なのは「誰」が言ったかではない。「何」を言ったかである。
本を読む時、講演を聴く時、情報検索する場合にも私たちは気をつけなければならない。偉い人が言っているからといってすぐに「信じる」ことは危険である。投資する際も「●●さんが言っていたから信じて投資した」という場合はよく失敗しやすい。
経営の決断や投資判断は「誰」ではなく「何」を言ったかを徹底的に調べるべきである。
また、これは仕事のパートナーを選ぶ際も同じ。「●●さんは信用できるから」と言って「誰」で選ぶのではなく、「何」をしてきたか、「何」をしようしているかの肝心の「中身」の部分を見て判断すべきである。
最近、ある大学のスポーツの部活動にて、ある選手が「監督やコーチが相手の選手を反則してでも潰せと指令があったから反則をした」ことが話題になった。実際のところ本当にそのような指令があったかどうかはわからない。これなどはまさに「何」を言ったかより「誰」が言ったかを重視したがために起きた事件だ。
やはり、大事なのは「誰」が言ったかではない。「何」を言ったかである。「何」を基準に判断していたら、「反則はいけない」「相手を怪我させてはいけない」とわかるはずだ。「誰」を基準にしてしまうと、監督やコーチ、上司や上官などの言うことはすべて正しいことになってしまう。大変危険な発想である。
佐藤一斎の言うように誰を基準にするのではなく「実の言」を観る目を養いたい。