仏と鬼のマネジメント、どちらが正解か?

「誘掖(ゆうえき)して之を導くは、教えの常なり。

警戒して之をさとすは、教の時なり。

躬行(きゅうこう)して以て之を率いるは、教の本なり。

言わずして之を化するは、教えの神なり。

抑えて之を揚げ、激して之を進むるは、教の権にして変なるなり。

教もまた術多し。」

これは佐藤一斎『言志四録』の言志後録第十二条に書かれた言葉である。

意訳すると、教え方には様々ある。それは、邪道に入ることを戒めたり、自ら率先してやって見せたり、何も言わずに無言で教えることもあったり、激励して進ませるなど。大事なことはどれかに偏るのではなく、時と場所、人によって臨機応変に指導方法を変えていくことである。

経営顧問業をやっていると、よくマネジメントに関する相談が寄せられる。その際、「仏のマネジメントと鬼のマネジメントどちらがよいのでしょうか?」と質問されることがある。

本屋に行けば様々な社員指導書がある。その究極は仏か?鬼か?に分かれる。だから社長は迷う。一体どちらが正解なのか?と。

例えば、仏のマネジメントでいくと、伸びる社員は伸びるが、中には調子に乗ったり、サボったりする社員が出てくる。

逆に、鬼のマネジメントでいくと、サボる社員が減ったり、調子に乗る社員も減る。が、社内がギクシャクしたり、できる社員が辞めていったりする。

それで、社長は「一体どちらのマネジメントがいいんだ!」と頭を抱えるわけだが、答えは佐藤一斎に言わせれば「両方」である。

様々な教え方があるのだから、臨機応変に使い分けよと。褒めて伸びる人には褒め、叱った方が伸びる人には叱る。言葉で言った方が伝わる人には言葉で伝える。言葉ではなく見せた方が伝わる人には見せる。実際に手を動かした方が伝わる人であれば動かしながら教える。また、これは同じ人であっても、時と場合によって変化することもある。

柔軟に臨機応変に指導方法を変えていくことが肝要である。