自由や豊かさを得たいなら、「学習」は必須である。
学習なくして、夢の実現はない。
しかし、学習方法にも押さえなければならない要点がある。
それは「原著をたどること」の重要性だ。
今、興味があって『金持ち父さん貧乏父さん』の原著(English)を読み返している。
「日本語訳があるからいいのでは?」
と思う人もいるかもしれない。
が、やはり、翻訳の過程で微妙にニュアンスがズレることがある。
より悪いケースは「誤訳」されてしまうこと。その誤訳が原因で間違った解釈が進んでしまうことがある。
例えば、金持ち父さん貧乏父さんでは「不労所得」というワードが有名だ。
しかし、原著には「不労所得」という言語は見当たらない。
不労所得という訳は「Passive income」から来ている。
しかし、Passive incomeは、不労所得というより「受動所得」という訳がふさわしい。
「不労所得」と「受動所得」とではかなり意味が違って聞こえないだろか?
不労所得というと、なんだか「働かないでも収入になる」ニュアンスだ。
「濡れ手に粟」のようなイメージ。
しかし、受動所得は違う。
例えば、農家などが受動所得に近い感じがする。田畑を耕して、時間が経ち、農作物が実ったら収穫になる。「受動的」ではあるが、決して、働かないで収入を得たわけではない。
ところが、「金持ち父さん」シリーズは、日本に入ってくる過程で「受動所得」ではなく「不労所得」と訳されてしまった。
このせいで?金持ち父さんシリーズは、場合によっては「いかがわしい」とさえ捉えられるようになってしまった。
「働かないでお金を得る?けしからん!」と。
どうして、このような誤った訳がされてしまったのか?
きっと読者に刺さると感じたからだと思われる。
受動所得ではインパクトが小さい。
「働かないでお金持ちになる」=「不労所得」
の方が、バブルがはじけた1990年~2000年前半の日本には刺さると感じたのだろう。
ちなみに、逆に「不労所得」を英語にするとどうなるか?「unearned income」となる。こちらはまさに「濡れ手に粟」の不労所得のイメージだろう。
このように、海外の洋書が正確なニュアンスで訳されるとは限らないのである。
マーケティングを意識してか、日本人の習慣や文化に合わせてか、訳す過程で意味が変わってしまうことがある。
ということで、現在、あらためて原著で読み返しているのだが、他にも日本語訳との違いが発見できて面白い。
で、何が伝えたかったかというと、「原著をたどることの重要性」である。
書籍もそうだが、人の話もそうだ。一次情報、ファクトをたどることは大変重要だ。
「伝言ゲーム」をやったことはあるだろか?
数人、間に人を介するだけで全く違った話になった経験はないだろうか?
それだけ、情報を正確に伝えるとは大変な作業だ。
だからこそ、「原著」をたどることは、経営者として投資家として、最大限意識しなければならないのである。